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Cracked Concrete Wall

Children Of Bodom / Bodom After Midnight Alexi Laiho 一周忌:

Alexi Laihoの自伝Chaos, Control & Guitarから知りえる貴方の知らないAlexiの10ファクト。

フィンランド出身のメロディックデスメタルChildren Of Bodom、そしてBodom After Midnight等での活躍で知られるギタリスト/ヴォーカリストAlexi Laihoが2020年12月29日に他界しました。享年41歳でした。

2021年年明け早々に突如流れたAlexiの訃報にロック/メタル界、そして多くのファン達は深い悲しみに包まれました。音楽誌でないPeopleマガジンやUSA Today等もAlexiの訃報ニュースを取り上げ、MegadethのDave Mustaineは ”多くの人々が訃報を悲しんでいる。私達は君を愛してる。天国のメタルバンドはようやくリードギタリストを迎えられただろう。” とAlexiを追悼。訃報ニュースから数ヶ月後に、元SinergyにてAlexiと共に活躍したバンドメイトで、Alexiが亡くなった時にまだ法的に結婚していたKimberly GossがAlexiは「アルコールによる肝臓と膵臓周囲の結合組織の変性」が原因で亡くなったと公表。さらに、Alexiの体内には鎮痛剤、オピオイド、不眠症の薬が入っていたと説明。Alexiは2017年にオーストラリア人の広報担当者Kelliさんと結婚したと公表されていたが式をあげた事実婚でした。Alexiは亡くなるまでKelliさんと義娘Shelbyさんと楽しく生活していました。死因が公表された事等でKelliさん/フィンランドの遺族側とKimberlyさんに対立が起き、Alexiの遺灰は12月になりようやく埋葬出来た事がKelliさんによって報告されました。AlexiはフィンランドのHelsinki、Malmi墓地に埋葬、お墓は今後建てられるようです。

Alexi Laiho(本名Markku Uula Aleksi Laiho)は1979年4月8日にフィンランド、EspooにあるJorvi病院にて出生。Alexiの自伝Chaos, Control & Guitar (Petri Silas著作)にて、Alexiは自身の子供時代を人生の中でもベストな時期だったと説明。Alexiは家族から愛情を受けて育てられた。Alexiと家族はドイツ、ハンガリー、スウェーデン、スペイン等国外旅行をして楽しんでいた。子供の頃のAlexiはスキー、スケートボード、廃墟探検、ドナルドダックのマガジン、テレビシリーズのバットマン (Adam West演)が大好きな少年だった。大人になってからのAlexiはマッスルカー愛好者/コレクターで、映画The Big Lebowski (1998)の大ファンでした。自伝の著作者Silas氏はAlexiについて「情熱的、自信過剰、頑固なアーティスト。ウィットに富んでいるがシャイで強烈に自己を皮肉っている事で自己開示しない人である」と説明。Children Of Bodom(以下CoB)にてAlexiはバンドの作曲、作詞、コンポーザーとして中心メンバーでした。インタビューでAlexiはCoBでキーボードのソロパート以外は全て自分が書いていると発言。CoBの前身であるIneartheDにおいてはAlexi以外にも元ベーシストSamuli Miettinenが作詞を担当した曲もあり、IneartheDの3作目ShiningではJontte Livonenも作詞に参加しており初期時代はAlexi以外のアーティスト達が作詞を担当する事もあったとSilas氏に語っている。Alexiがバンドにキーボード奏者を入れるきっかけを作ったのはAmorphisのアルバムTales From The Thousand Lakes (1994)に影響を受けたからと説明。またSilas氏はAlexiから「1990年代後半において、スラッシュ、デス、ブラックメタルの要素を取り込み、尚且つJake E. Leeのギターリフを取り入れ、Mötley CrüeやW.A.S.P.のコーラスやメロディをも入れた俺達は唯一無二の存在であったはずだ」と発言していたと説明しています。今回Alexiの自伝Chaos, Control & Guitarに書かれているAlexiの歴史から余り世間には知られていない10の真実をMetal Injectionが記事にしています

1. Alexiは音楽一家にて育った。
Alexiの父親Heikki LaihoはBeggarsというバンドで活動していた。Heikkiはキーボードを担当しており、AlexiがCoBのJanne Wirman (key)と親しかったのも父親と同じ担当という事だったからかもしれないと説明。HeikkiのバンドはThe BeatlesやThe Rolling Stonesの楽曲をカバーしており、演奏トーナメントで優勝したBeggarsは優勝賞品であるソビエト連邦旅行にも行ったそうです。Heikki自身はバンド以外に広告会社を立ち上げて仕事をしていました。Alexiが6才の時、HeikkiがDire Straitsの曲Money For Nothingを演奏している姿にAlexiは影響を受け音楽に興味を持ったそうです。Alexiの母親Kristiinaはクラシック音楽を勉強した人で、ピアノとフルートをプレイしていました。またコーラスグループにも所属。しかしKristiinaはブラスバンドの金管楽器を耳元で鳴らされた事で聴覚障害、平衡機能障害も患っていました。Alexiが3才の時にはKristiinaは秘書の仕事もしていました。自伝Chaos, Control & Guitarにおいて、Alexiは5才からピアノを弾いていたクールな姉Annaの存在と影響力は欠かせない事を発言。音楽愛好家であったAnnaからAlexiや兄弟達はKISSのアルバム、そしてMetal HammerやKerrang!誌といった音楽雑誌も紹介された。そしてAnnaはデスメタルにも興味を持っていた。Annaがピアノを習っていた事もありAlexiの両親はAlexiにも5才の時にピアノを習わせておりAlexiは12才になるまでバイオリンも習っていた(同Alexiの映像2:20)。1990年に父親からプレゼントされた初めてのギターTOKAIストラトキャスターでギターも弾く様になる。Alexiはモーツアルト、映画のサントラ、そして後にプレイするゲーム:バイオハザード等様々なジャンルから影響を受けており、Alexi曰く自身はN.W.AからBon JoniそしてDarkthroneまで多岐にわたる音楽の影響を受けていると説明。Alexiの家族以外にもAlexiの周りには音楽をプレイする人々が多く居て、Alexiが尊敬するスラッシュメタルStoneでギタリストだったJiri Jalkanenとは家が同じ道沿いにある近所でありAlexiはJiriの弟とよく遊んでいた。またAlexiとスケートボード仲間であったOtto Tolonenは現在有名なクラシックギタリストとなっています。Alexiの訃報を受けたOttoは子供時代にAlexiと一緒にプレイしていた写真と追悼コメントを投稿

2. Alexiが13歳の時に自身は音楽をやる為に生まれてきたんだと両親に話した。
Skid Rowの元フロントマンSebastian Bachは「AlexiとHollywoodで初めて遊んだ時にあいつは昔の思い出を沢山話してくれたんだ。Alexiのロックンロール愛に火を付けたのは彼の姉がSkid Row(とGuns N' Roses)のHelsinki公演に行ったのに対し自身は年齢的に若かったから行けなかったからだそうだよ。当時Alexiは俺達がフィンランドに来てライブを行う事にテンションが上がり過ぎていたらしい。しかし彼はまだライブに行く年齢ではないと両親が行かせてくれなかったんだ。Alexiは何度も両親に頼み込んだそうだよ、でも結局彼は俺達の公演には見に行けなかったんだ。その時Alexiは進路を決めたそうだ。確かに、Skid RowとGuns N' Rosesは一緒にHelsinkiにあるHelsingen jäähalliかHelsinki Ice Hallで1991年8月13と14日にUse Your Illusionツアーで公演を行っていたんだよ。」と発言しています。因みに、Helsinki Ice HallはAlexiがその後初めてPanteraのライブを見た会場であり、またCoBがファイナルライブを行った場所でもあります。幸運な事にAlexiの両親は息子の進路決断をサポートしてくれ、母親もAlexiが一生懸命ギターを練習出来るように取り計らってくれた。その後Alexiは音楽学校Oulunkylä Pop & Jazz Conservatoryに入る。同学校の活動でAlexiはPori Jazzフェスティバルにて演奏する事も出来た。因みに、CoB/IneartheDに1997年に加入する事になるキーボードJanneも同じ学校に入っておりCoBに加入するまでAlexiとJanneはその事を知らなかったそうです。そしてAlexiは1993年にIneartheDT.O.L.K.を1994年に結成。T.O.L.K.のデモ作品をレコーディングしたプロデューサーはドームメタルKYPCKやThe Skreppersで活躍しHIM、Amorphis、Apocalyptica等の作品を手掛けたHiili Hiilesmaaでした。
Alexiが6年生の時、CoBで一緒にプレイする事になるドラムJaska Raatikainenと出会う。当時のJaskaはフレンチホルン奏者であり、Jaskaは当時Alexiのドラムプレイのスキルの高さに驚いたそうです。当時Alexiは子供向けテレビ番組に出演しアクションアドベンチャー番組MacGyverのテーマソングのドラムカバーを披露していました。JaskaとAlexiはその後MetallicaやGuns N' Rosesのコピーバンドを結成し活動を始める。しかし、その後二人はデスメタルバンドとしての活動に変える。これにはAlexiが聴いていたEntombedからの影響、そして当時Alexiが考えていた米カリフォルニア州LAにある音楽学校Guitar Institute of Technology (GIT)の授業料が払えない事で留学を断念した事があり、Alexiはバンドとして活動していくことになります。二人は友人達とIneartheDを結成。AlexiとJaska以外のメンバー達は流動的であったが、誰もヴォーカリストの責任を持てなかった事でAlexiがヴォーカルとなる。Alexiはヴォーカルトレーニングを受けた事は無くCoBとなり活動を続けていくうちに徐々にヴォーカルのテクニックを覚えて行ったそうです。

3. IneartheDの二作目デモはJaskaのおばあさんが見ている中で作られた。
IneartheDは1995年に二作目のデモアルバムUbiquitous Absence of RemissionをプロデューサーAnssi Kippoと地元の教会の地下室にて制作。Jaskaの父親JukkaがAlexiとJaskaをスタジオへ車で送り届けていたが、一緒にJaskaのおばあさんも二人を見る為に来ており、スタジオでのレコーディング中もJaskaのおばあさんが居てくれたそうです。

4. Alexiは17才の時に地元にいた犯罪者2人組に追われホームレスになる。
ある時、地元Espooに居た薬物中毒の犯罪者2人がAlexiを付きまとう様になった。Alexiは地元で犯罪を繰り返していたワル二人について、「奴らは人を一人殺しているんだ。俺は奴らが他の男に暴行を加え、倒れた男の頭部にブーツで蹴りを入れているのを見たんだよ。」と語っています。Alexiによると同2人はAlexiが当時付き合っていた彼女との関係を羨ましく思っていた。ある日、同2人はAlexiのクビにナイフを突き立てて脅してきた。残念ながら警察はAlexiを助けてくれなかった。そこでAlexiはEspooを出てHelsinkiに居た姉Annaの所に身を寄せる事にする。しかし、Alexiは姉の生活の邪魔にはなりたくなかった為友人の所にも身を寄せていた。寝るところを一先ずゲット出来たAlexiは、次はビールをタダで飲めないかと近くのバーに行って年上の女性達の機嫌をとっていたそうです。この様な生活がAlexiの17-18歳まで続いていたそうです。その後友人の紹介でAlexiは工事現場で働く事になりました。この出来事からCoBのビジュアルには浮浪者を美化したような要素が組み込まれている事をAlexiが説明しています。

5. Children Of Bodomは殺人事件があったボドム湖へとドライブする儀式があった。
1997年にCoBとして最初のライブを行い同年にデビュー作Something Wildもリリース。当時バンドはラジオ番組MetalliliittoがアルバムSomething Wildからの曲を流してくれる事を知っており、Alexi、Jaska、そしてギタリストAlexander Kuoppalaの三人でボドム湖へとドライブし車内でラジオを聴いていたデビューを祝う。この時からボドム湖に行くというバンド内の儀式が出来た様です。Alexiはボドム湖から10-15マイルほどの地域で育ちました。未解決事件:ボドム湖殺人事件は1960年6月5日早朝、湖畔にキャンプしにきていた4人の若者達が何者かにナイフと鈍器で襲われ、3名が死亡、1名が重傷を負った事件。前身バンドIneartheDにてベルギーにある所属レーベルとの奴隷契約を破棄する為にバンドはIneartheDを解散しChildren Of Bodomとバンド名を変更。アルバムSomething Wild完成後に契約の申し出があったSpinefarmレコードと契約。Alexiは映画Children Of The Corn(1984)からの影響でワード「Children」と「Bodom」の組み合わせが出来たと説明しているが、Black Sabbathの曲Children Of The Seaからの影響もあると言われています。

6. Children Of Bodomは自身がカバーした曲Shot In The Darkのリリースを拒んでいた。
Alexiが作って来たものはどれも素晴らしいものだったがOzzy Osbourneの曲Shot In The Darkのカバーだけは例外だった様です。Children Of Bodomもレーベルに対し同カバーはリリースするに値しないと説明していた。しかし同カバーはアルバムFollow The Reaper(2000)の日本盤のボーナストラックとして収録されてしまった。AlexiはOzzy OsbourneとJake E. Leeが制作した作品Bark At The Moon(1983)を自身のベストアルバムの一枚に上げている程Ozzyの作品には思い入れがあった様です。Ozzy Osbourneバンドのギタリストとして有名なZakk WyldeとはGuitar World誌で二度一緒に表紙のカバーアーティストとして共演していました

7.  Joey JordisonがAlexiをMurderdollsに勧誘していた。
Alexi曰く、Slipknot等で活躍したJoey Jordisonは自らのドッペルゲンガーだったと発言。アルバムBlooddrunk(2008)発表後、バンドはSlipknotのAll Hope Is Goneワールドツアーにて共演。一緒にツアーを周っていたAlexiはJoeyと出会い、容姿が似ているだけでなく性格も同じだった事で意気投合。Joeyは自身のサイドプロジェクトであったMurderdollsにAlexiを誘い一緒に新作(恐らく2010年に発表された二作目Women And Children Last)を制作しようと話していた。残念ながらAlexiのスケジュールの都合によりMurderdollsで一緒にプレイする事は無かった。しかし、もしAlexiが参加していたら凄い作品になっていただろう。当時AlexiはBlooddrunkのプロモツアーを終えると人との関りを拒み、家に籠ってSeinfeldのDVDをポップコーンを食べながら見る毎日だったと笑いながら後に説明。Joey以外にも共演が立ち消えになった機会はこれまでも何度かあり、CoBからギタリストRoope Latvalaが脱退しバンドが後任を探していた時にはArch EnemyのChristopher Amottにコールしたそうです。結果はDaniel Freybergが加入。またアルバムRelentless Reckless Forever(2011)の制作前にバンドはPantera等をプロデュースしたTerry Dateと一緒に制作を試みていたがTerry Date側から自分は適任でないと断られた事もあったようです。

8. Alexiは一度だけホテルルームを荒らして間違いだった事に気づく。
ギリシャ公演にて、一緒にツアーしていたDimmu BorgirとSentencedが急遽行けなくなった事で公演がキャンセルになり怒ったCoBメンバー達は大量の酒、エアソフトガンとプラスチック製の弾丸を購入。滞在していたホテルルームを荒らしたバンドは警察が駆け付ける前にホテルを後にする。しかし、ルームを破壊されたホテルから後日メンバー全員に損害賠償を要求され一人約34万円を払う羽目になったそうです。この一件以来Alexiは二度とホテルルーム等を破壊する事は無かったそうです。同じ様なケースで、Alexiの友人であったSebastian Bachもホテルルームで大暴れし掛けてあった絵画等を破壊した事で損害賠償で約173万円程を払う事になり「ホテルルームのクリーニング代を払うよりバイクを購入した方がマシ」と滞在しているホテルルームを破壊する事は無くなったそうです。

9. Alexiはテレビ番組に出演した際に自身の楽曲を音楽ゲームでプレイしたもの散々な出来に終わった。
CoBの曲Was It Worth It?(アルバムRelentless Reckless Foreverから)が音楽ゲームGuitar Hero: Warriors Of Rockに収録されている事で、Alexiはフィンランドのテレビ番組に出演し同ゲームで曲Was It Worth It?を他のプレイヤーと対戦する事になった。しかし、Alexi曰く「確かスコアは5%ぐらいしかとれなくて大失敗に終わったよ。何より可笑しかったのは俺が書いた曲で対戦したんだよ。」とGuitar Heroは難しかったと発言していました。

10. Alexiの担当医はAlexiの骨盤(腰の部分にある骨格)の一部を使用しAlexiが患っていた肩の怪我を治療した。
2001年、元ギタリストAlexander KuoppalaとAlexiがソウルにあるHard Rockカフェの店内でふざけてモッシュピットを始めAlexanderの下敷きになったAlexiが肋骨を骨折する。2007年、Alexiはボーリング場に行った際に骨折。2009年、Alexiはツアーバス内のベッドから転落し肩に重傷を負った。この時Alexiは米Denverにある病院へ行き検査をしたそうです。当時Alexiは二か所の肩関節の骨を痛めていたがX線検査では一か所の骨部分の怪我しか診断されなかった。また同病院の医者はAlexiが患っていた肋骨の怪我についても見落としていました。数年後、フィンランドの整形外科医がAlexiを診た際、Alexiの一か所の骨は長い間治療されておらず、またもう一か所の骨は悲惨な状態であると診断。この担当医はAlexiに手術を勧め、手術にてAlexiの骨盤のピースを繋ぎ合わせ肩の怪我を治療したそうです。
多くの怪我に悩まされてきたAlexiでしたが公演のキャンセルは少ないアーティストであり、怪我をしても鎮痛剤などを服用してツアーをこなしていました。亡くなる前に在籍していたBodom After Midnightにて一緒にプレイしていたDaniel Freybergは、AlexiはBodom After Midnightになってから「このバンドになって自分は20年若くなったようだ」とよく話していたと語っています。Bodom After Midnightは計3公演のみの活動でしたが、メンバー達は皆Alexiのカリスマ性が戻って来たと確信していたそうです。

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改めてRest In Peace

Alexi Laiho

Alexi Laiho

Alexi Laiho
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Alexi Laiho playing Hate Me on an acoustic guitar

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Bodom After Midnight - "Hate Me!" @ Tavastia 25.10.2020

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children of bodom  - Angels Don't Kill (live HD).mp4

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R.I.P Alexi Laiho Legend

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