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ギタリストJona WeinhofenがBring Me The Horizon脱退の真相を語る。

5/31/2023

ギタリストJona WeinhofenがBring Me The Horizon脱退の真相を語る。

I Killed The Prom Queen/Bring Me The Horizon/Bleeding Through/D.R.U.G.S等で活躍したオーストラリア出身のギタリストJona WeinhofenがインタビューにてBring Me The Horizonに加入した経緯そして脱退した時の事を語りました。


JonaはI Killed The Prom Queen(以下IKTPQ)の結成メンバーであり二作目Music For The Recently Deceased(2006)リリース後のプロモツアー時に対バンしたBleeding Throughと仲良くなり加入する事を決める。当時ITKPQはヴォーカリストが少し前に脱退しておりJonaの後任と新しいヴォーカリストが見つからなかった事で2007年にIKTPQは最初の解散を発表。バンドは2008年にラストツアーを行う為に再結成し全公演完売となったツアーを完成させ解散。因みにこの時のツアーに帯同していたのが後にJonaが加入する事になるBring Me The Horizon。


ポッドキャスト番組Club Goodに出演したJonaはBleeding ThroughからBring Me The Horizonへ入った所からBring Me The Horizonを脱退した時の事を語りました。以下Jonaの発言です。


「俺がBleeding Throughに加入して二年ぐらい経っていた時かな、ツアーもあまりやらなくなったので、急にお金が稼げなくなりBleeding Throughに居続ける事に疑問を持ち始めていた。バンドとしか働けないビザを持っていたので、スターバックスとかで仕事をすることもできなかったしね。だから一旦オーストラリアに帰って次のことを考えようと思っていたんだ。Bleeding Throughと一緒にプレイした最後ツアーではまだバンドに辞めることを伝えていなかった。丁度俺達の公演がある地域でBring Me The Horizon(以下BMTH)も演奏していたんだ。俺がIKTPQの在籍時に2回BMTHと一緒にツアーをしていてね、一回目は初めてイギリスで彼らのサポートをして、その後トレードしてIKTPQが豪州でやった最終ツアーの時に彼等を連れてきたんだ。良い友達だったから当時彼等が近くでショーをやっていると聞いて彼らのショーを見に出かけたんだ。久しぶりに彼等と話しお互いの近況を語り合うと彼等はギタリストが抜けている問題を抱えていた(当時Curtis Wardは脱退しておりギターテックDean Rowbothamが入っていた)。俺は ”奇遇だな、俺もこのツアー後にBleeding Throughを辞めようかと思っているんだ、もしツアーギタリストでも何かあれば出来るよ” と話したんだよ。この時はまだBMTHの公演スケジュールがどうなっているのかさえ知らなかったけれど2〜3ヶ月後には彼等の曲を覚えていて、彼等との初公演のために飛行機でドイツに行ったんだ。ドイツで開催されたRock Am Ringという大規模なフェスティバルで、リハーサルも何もしていない状態だった、文字通り本番当日に飛行機が到着し直ぐにステージに上がり、上手く行くことを願いながら彼等と一緒に演奏したよ。


Bring Me The HorizonとJonaの初ライブとなったRock Am Ring 2009での曲Football Season Is Over


それから俺はBMTHに3年間在籍したのかな。アルバムSuicide Season(2008)をリリースした直後に加入したので、あのアルバムのツアーサイクルに参加したようなものだったね。 あのアルバムのプロモーションに行われたほぼ全ての公演に参加したと思うよ。そして、BMTHはそのアルバムのEDMリミックスという、当時はどのバンドもやっていなかったようなとてもクールなことをやってリリースした。当時は、ヘビーなバンドがEDMアーティストとコラボするような波が来る直前だったんだ。Skrillexはこのアルバムに収録した曲のリミックスを手がけ、それがSkrillexとしての最初のリリースだったと思う。たしかSkrillexが初めてオーストラリアのPerthでショーを行い、俺達BMTHは同じ夜に近くで公演を行っていたんだ。BMTHライブ後、近くのクラブでSkrillexがプレイしていると聞いたOli(Sykes)が友人の新たな活動を激励しに観に行ったんだよ。クラブには100人くらいしか集まっていなかったね。あそこは深夜0時までは男性のストリップクラブなんだよ、0時にストリップからナイトクラブに変身する所でそこでSkrillexもやっていたね。


SkrillexがリミックスしたBring Me The Horizonの曲The Sadness Will Never End


ちょうどアルバムSempiternal(2013)のレコーディングを終えたばかりの頃、あの作品が彼等と一緒に制作した2枚目のアルバムだった。俺はあの作品に部分的に参加していた、その時、バンドがJordan(Fish)を連れてきて彼はキーボード奏者になった。そして彼が曲作りやプロデュースをたくさんしてくれたんだ。彼は当時Worshipという別のバンドをやっていてダークで波打つようなシンセサイザー、メロディックなヴォーカル、ポップでクールな音楽をやっていたんだ。BMTHにいたことで、それまで聴いたことのないような様々なバンドを聴く事ができ自分の音楽の新たな扉を開くことができたんだよ。BMTHはこの時点ですでに、標準的なもの、ハードコア、ヘヴィミュージック、デスコアの多くに飽きており、新しいサウンドを見つけようとしたんだ。Jordanはその大きな部分を担っていたから、彼とOliで隔離する様な形で一緒に制作をしていて、それまでのBMTHの作曲プロセスから変わっていったのさ。それまでのBMTHではギタリストLee(Malia)がほとんど作曲していた。俺が書いたのは、前作There Is a Hell Believe Me I've Seen It. There Is a Heaven Let's Keep It a Secret(2010)のリフのうち控えめに言って25個くらいは書いたね。There is A Hell(略)ではバンドのメンバーが一緒に演奏するジャムセッションの様な感じで全員が一部屋に集まって曲を考えていた。しかしSempiternalではOli、Jordan、Leeの3人はほとんど作曲部屋に籠って書いていて、当時ベーシストMatt(Kean)と俺は住むところがない状態だったから、3人が作曲している間は殆どホテルで過ごしていた。何ヶ月もホテルに居たね。俺もホテルの部屋でリフを書き、それを彼等に送っていたよ。結局俺が書いた少しのリフはSempiternalの楽曲に採用されたみたいだったね。


JordanがBring Me The Horizonに入る前に在籍していたWorshipのGlastonburyライブ映像


BMTHでは自分が慣れ親しんだバンドとは別次元のバンドに参加したような感じだった。俺はハードコアキッズで、ライブ後にファンと話したり、グッズ売り場で交流するのが当たり前だったんだ。でも彼等はそうじゃなかった。 勿論、彼等はファンの事を大切に思っていたよ。彼等のファンは熱狂的で、メンバーがどこに住んでいるのか知ったファンたちが、メンバーの家の前で待ち構えていたり、サイバーストーカーまがいな被害もあったりしていた。当時の彼等はパーティーバンドみたいなもので、いつも何かと物議を醸していたね。俺はBMTHの嵐の様な活動に巻き込まれたようなもので、突然ツイッターでみんなが俺をフォローしてくれるようになり、俺の投稿を気にしてくれるようになったんだ。で、俺はクソみたいな投稿ばかりしてしまった。 エッジの効いたバンドであろうとしすぎて、それがバンドに悪影響を及ぼし始め結果的にバンドを傷つけてしまった。 俺がやった無意味なジョークや不適切な投稿は彼等も日常でやっている事だが彼等は決してそれらをSNSに上げようとはしなかった。俺はお酒を飲まないし、パーティーもあまり好きじゃなかったから、自由方便に投稿しているのが自身の貢献だと思っていた。しかし、これらの行いによってメンバー達との関係が崩れて、ある時マネージャーとミーティングをすることになったんだ。その席で、メンバー達が俺に対して不満に思っていることのリストを渡してくれたが、俺にはそれを修正する機会はもうなかった。マネージャーからは ”これがあいつらが不満に思っている事のリストだが、最善策としてはここで別れた方が良いと思っている” と言われたのが3年目の2012年末だったね。


既にアルバムSempiternalは完成していたんだけどまだリリースされていなかった。そして英ロンドンにある1万2千人ほどのキャパの会場で開催されたVans Warpedツアー(BMTHはLostprophetsと共にヘッドライナーで出演)に出る予定が既にあったからWarpedでやる前に行ったウォームアップライブと合わせて俺とJordanが一緒にステージでプレイしたのは2公演だけだったな。

(ポッドキャストホストから、マネージャーから不満リストを出された際に仕事として割り切りメンバーと向き合って改善していこうとチャンスも貰おうとは思わなかったのか?そこは貴方自身の価値観が違い過ぎて個人的に対処するのは無理だと思ったのでしょうか?の質問に対し)

いや、その時は自分でこれでよかったと思っていた。あの頃、IKTPQとも一緒に活動していたんだ(BMTH脱退の一年前にIKTPQは復活しこの時からJonaはIKTPQとBMTHを平行して活動すると発言していました)。あの時もIKTPQとして欧州のフェスを二回程やったばかりで、ちょうどマネージャーとのミーティングの後にはIKTPQとしてParkway Driveのサポートで欧州ツアーにでる予定があった。たしか2012年12月のAtlasツアーだったよ。だから俺はすでに他のことをやっていたんだ。そして、ミーティングを終えてロンドンにいるとき、BMTHの地元シェフィールドまで電車で行って、そにあるものを全部荷造りしなきゃいけないと思ったのを覚えているよ。3年分の荷物をまとめて、どうにかしてオーストラリアに持ち帰る方法を考えなければならなかった。ミーティング前では1週間後に出発する予定だったが、直ぐに飛行機を変更し、帰国しなければならなかった、忙しかったよ。


オーストラリアAdelaideに帰って、仕事もなく、住むところもなく、兄の家に住むことになったのを覚えているよ。覚えているのは友人と話していて、自分のアイデンティティを根こそぎ奪われたような気がしたんだ。これからどうすればいいんだろう、どこかで仕事をするのかな、なんて考えていた。正直なところ、つい最近まで、BMTH在籍時末期に起こったことを振り返ることができなかったんだよ。脱退後、ネット上でBMTHメンバーと揉め事もあり、それを解決するために、法的な手続きを踏んで和解したんだ。最初は自分は何も悪いことはしていない、BMTHもこういうことをやっているんだ、と思っていた。BMTHは俺の言動を指摘し、それを理由に俺をバンドから追い出したんだって思ってた。当時の俺の頭には、BMTHには新メンバーで英ミュージシャンJordanが入った。メンバー達は一緒に育って、若い頃から超仲良しだった。しかし俺はよそ者で他の国から来た。酒も飲まないし、パーティーもしない。BMTH内には明らかな隔たりがあったんだなって思っていた。あれから何年も経ちすべてを振り返ることができるようになるまで、ずいぶん時間が掛かったよ。実は、つい先日、家の中を整理していたら当時のノート等をすべて引っ張り出して読む機会があったんだ。それを読み返したら、その時の自分の気持ちや動揺が一瞬で蘇ってきて本当に落ち込んだよ。でも、あの別れは人として成長することができた。そして今となっては、自分がBMTHでしてきたことは当時は問題ないと思っていたが、自身の言動を他の人がどう受けとったか、いかにひどいものであったかを理解することができた。彼等も同じ様な言動はあった。でもそれは俺の行動を正当化するものではない。今となってはそれは明らかで、彼等がバンドとしてどのような位置にいるのか、何を成し遂げてきたのかを見ると、俺もこれで良かったのだと思うよ。俺はただ巨大なバンドで楽しくやっていて、それまでにない注目を浴びていたのに、それを処理しきれなかったんだ。


Bring Me The Horizonが英ワープドに出演時JonaとJordanが一緒のステージに居る貴重な映像


(BMTH脱退時にはメンバー達と最後の連絡はとりあったのか?)

いや、あの時はもう全てが終わった感じだった。ただ、荷物をまとめる為シェフィールドに来ることをメンバー達に知らせたよ。一度キチンと別れを告げたかったんだ。感情の渦に巻き込まれたような感じだったけど、少なくとも3年間一緒に過ごした仲間に別れを告げたかった。残念ながら1人しか来なかったので、ちょっと寂しかったな。でも、それから数ヶ月後にBMTHは豪州Sound Waveに出演したからそこでメンバー達には会っていたんだ。あの時メンバー達との間でちょっとした揉め事があってね、あのフェスの中でメンバー2、3人と話す事ができて、”今お互いに起きていることは無意味であり、皆前に進もうとしているのだから、それを解決しよう” と話したね。それ以来、俺は彼等の誰とも連絡を取りあってないよ。でも、その後幾度か色々なフェスにて偶然メンバーにバッタリ会うことはあるんだけどね。ギタリストのLeeとは一番よく話すと思う。 俺達はいい関係で、特に一緒に曲を作ったり、バンドのビジネス的な意味でもお互いの立場を理解したりすることができたと思っているよ。」 と説明


こちらJonaのインタビュー動画

こちらポッドキャスト番組のリンク

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