Machine HeadのRobbが他界した元ドラムTony Costanzaについて思いを語る。

August 5, 2020

Machine HeadのフロントマンRobb Flynnが先日他界したオリジナルメンバーで元ドラムTony Costanzaについて思い出を語る。

 

1992年、当時ベイエリアスラッシュVio-lenceを脱退したRobbが友人であるベーシストAdam Duceと共に新しいバンドを結成。その際友人であるギタリストLogan MaderそしてドラムTony Costanzaを呼びかけ4人でMachine Headを結成。バンドはライブ活動を開始しデモテープを制作。同デモテープがRoadrunnerレコードの目に留まりバンドはレコード契約を果たす。しかし、Roadrunnerレコードからのデビュー作であるBurn My Eyesをリリースする前に他のメンバーとの関係が上手くいかずTonyはMachine Headを脱退。Tonyは脱退前にアルバムBurn My Eyesの11曲中8曲でドラムパートの作曲でクレジットされていました。Tonyの後任にはChris Kontosが加入。TonyはMachine Head脱退後スラッジメタルCrowbarに加入、そしてMetal Bladeレコードと契約していたCrisisでもプレイ。

 

Tonyの訃報はCrisisにて一緒に活動していたギタリストAfzaal Nasiruddeenが投稿。「Tonyは朝眠っている間に亡くなった。彼は穏やかに苦痛も無かったと思っている。」「多くの人々が彼の事を慕っており、自分のそんな内の一人だった。彼はどんな時も自分の味方でブラザーな関係だった。」と説明。

 

今回訃報を聞いたRobbが自身のSNSにて思いを投稿。

 

「Tony Costanzaの訃報を聞いてとても悲しく思っているよ。Machine Headが最初の6ヶ月活動出来たのはTonyが居たからだ。彼はラスベガスにてPapsmearというバンドでヴォーカルをやっていた。たしかVio-lenceで一緒に仕事をしていた人物が俺達を引き合わせてくれたんだと思うよ。彼は新しい人生を送る為にラスベガスからベイエリアに引っ越し、Napalm DeathのMitchとShaneと一緒にライブ会場で出会ったのが最初だった。記憶は定かではないが、彼がラスベガスから越してきて最初の数週間は俺の所に居候していたんだ。彼との楽しい思い出の一つに、当時の俺の彼女であったGenevra(現在Robbの奥さん)の所で皆で飲んで騒いだ時があった。俺達は紫のグレープジュースKool-aidとウィスキーを飲みまくり酔っていて、Tonyはその晩中華料理でイカの料理を食べていた。あの晩、もの凄く酔っ払ったTonyは嘔吐し紫色のイカをGenevraのアパートの床にぶちまけたのさ。Genevraは凄く怒っていたけど、後になって笑い話になり良く笑いあったね。

 

当時俺は既に作っていた曲をバンドとしてプレイ出来ていなかったから、Tonyが来て一緒に曲Death Church、Blood For Blood、Fuck It Allなどをリハーサルにてプレイ出来た事はMachine Headの初期の活動において非常に重要な事だったんだ。そしてTonyはアルバムBurn My Eyesに収録される曲A Thousand Lies、I'm Your God Now、Nation On Fire、Rage To Overcome、そしてあのDavidianのパートも一緒に制作した。

 

Tonyは大きな心を持った楽しくて良い奴だったよ。ただバンドメンバーの一人とは余り馬が合わなくてライブでは少しぎくしゃくしていた。しかし、Tonyを入れた俺達はOaklandにて初ライブを行い、めてのプロモビデオFuck It Allを撮影し、Eric Wongと初めてのデモテープもレコーディングした。俺達はLAで行われたメタルフェスにも出演したよ。約20人ぐらいの客しか見てなかったけどその中にはFear FactoryのDino、当時のSepulturaのIgor、Biohazardのメンバー達、当時のExodusのRick Hunoltも見てくれていて思い出に残ってるよ。

 

Chris Kontosが当初俺が決めていたドラマーであったが彼は当時Attitude Adjustment、Grinch、Verbal Abuseといったバンド活動で多忙であった。そしてVerbal Abuseがもう少しで契約出来そうな感じであった為Machine Headでプレイする事は困難だったんだよ。俺達はTonyを入れて活動していたんだけど、その後Chrisが戻ってきたんだ。そして今度はTonyのドラムテクニシャンとして働き始めた。(後で聞くところによると、ChrisはTonyのドラムの座を狙っていたそうだ)。そしてChrisから正式にMachine Headで一緒にプレイしたいとお願いされ、当時他のメンバーとの関係も良くなかった事でTonyが脱退する事になったんだ。

 

Tonyとは6ヶ月程一緒にプレイしたがアルバムBurn My Eyesの多くの曲を一緒に制作してくれた事には本当に感謝しているんだ。彼は脱退後CrowbarにてアルバムSonic Excess In Its Purest Form(2001)に参加しCrisisでもプレイしていた。CrisisのAfzaalにはTonyの訃報を知らせてくれて感謝している。

 

Tonyと俺は脱退後27年連絡を取り合う仲だったよ。彼は余り健康が良い状態では無かったが毎日を楽しんでいた。彼は本当に頑固な男だったな。でも彼と話した時、彼は「Machine Headを脱退した事は後悔しているよ、でも自分の大好きなバンドでプレイしていた事が俺にとって誇りなんだ」と言ってくれていた。書いていて本当に辛くなるね。

 

AfzaalはTonyの葬式の資金を慕うGoFundMeを開設したんだ。もしTonyの家族をサポートしてくれるなら是非お願いしたい。

 

Rest In Peace Costanza」

 

こちらRobbの投稿: https://www.instagram.com/p/CDem6oOh8G6/

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