Blink-182、Angels & Airwaves等で活躍するTom DeLongeがBlink-182が爆発的人気になった当時の思い出を語る。
12/30/2020
Blink-182の結成メンバーであり、現在Angels & Airwavesで活動するTom DeLongeがインタビューに応えスケートボードに明け暮れた学生時代、Blink-182がメインストリームで人気を得たアルバムEnama Of The State発表後の活動等プライベートな事について語りました。
TomはBlink-182の活動中にAngels & AirwavesやBox Car Racerも結成。またアパレルブランド、アーティストを対象にしたソフトウェアプラットフォーム、スペースやオカルト等を取り上げるサイト、
映画、そして書籍も発表する等マルチな活動を行っています。Blink-182の活動については、2014年に一度脱退を発表するも翌日に撤回。しかし、他のメンバーMark HoppusやTravis Barkerが早く
新譜を完成させ本格的な活動を行いたいという意思との違いが生じTom自身は、「辞めたつもりはない。ただ活動をする気になれなかった。」と発言。MarkとTravisはAlkaline TrioのMatt Skibaを
加入させて活動を継続。曖昧な感じでのメンバーチェンジとなっています。現在TomはAngels & Airwavesの活動とスペースやUFOに関する事業に力を入れており、今年に入り米国防総省本庁舎(通称The Pentagon)が3つのUFOの映像を公式に公開しており、それらはTomの事業が2017年に公開した映像だった事が判明し話題になりました。
そんなTomはバンド活動をする前からスケートボードにハマっており、今回スケートボードに関する話題を扱うサイトJenkemのインタビューに応え、バンド活動前のスケーター時代について、そしてBlink-182の活動について語りました。
Tomはスケーター時代には何度も全裸で公道を滑っていた事を発言し、Blink-182の代表曲What's My Age Againの様な状態は実話だったそうです。Tom曰く、全裸はBirthday Suit(誕生日スーツ)として定着していたそう。売れる前のTony Hawk等とも遊んでいた事も発言。若き日についてTomは、自分を始め友人のスケーター達は皆家庭、学校に居場所が無く街に出れば滑っている自分達を多くの人々が罵倒し叱られ、それらのストレスを発散できる唯一のサブカルチャーであった。デパート内をスケートボードで走りまわり、商品が並ぶコーナーで両手を伸ばして商品をばらまきながら滑る等悪さもしていたそう。社会から蔑まれた子供達がスケートボードによってグループを作り、反抗的な態度は社会に対しての怒りであり、Blink-182の作品も単にバカをやりたいという訳でなくそういった社会への反抗心から生まれたものがバックボーンとしてあったからと説明。バンドの代表曲All The Small Thingsではボーイズグループをからかう内容となっている事に、Tomは今では本当に考えられない事とし、当時の自分達は本当に酷い言動を他のアーティストや人々にしていた。米政府も自分達とEminemは要注意バンドとして認定していたと説明。
Blink-182のアルバムEnema Of The State発表後メインストリームで人気を得た当時女性と遊んだり、パーティをしまくっていたのか?という質問に対しTomは、「当時はバンドの管理が異常に厳しく
全くそういった遊びをする事すら出来ない状態だった。誰もバンドメンバーに近づく事が出来ない状況だったね。クラブに行って遊ぶとか、色んな人が俺達の楽屋に出入るするという事も無かったよ。俺達全員大切な人が居たし、誰かのワイフやガールフレンドが常に俺達の周りに居たしね。綺麗な人を見れば、少しぐらい遊んでもという思いも勿論あったよ、俺も男だしね(当時23歳)。でもね、近づいてくる
人達の多くが少しおかしい人や自分達よりももっと若い年齢だったり、ちょっと人を信用できなくなるぐらい俺達を見る周りの目が変わり過ぎていた。人気になるという恐怖感を味わった時でもあったな。少しでも関係があったら後で何かしらの訴えを起こすのではないか、俺の子供を産んだとか言ってくるのでは等本当に信用できなかった。
そういう訳で。俺達だけだったよ。ライブ会場には一番遅く入って、ウォームアップしライブを披露する。ライブ後は直ぐにステージの外に待機しているバンに乗り込みホテルに直行していた。ホテルにはセキュリティーを待機させていたんだ。何故かライブ直後だというのにホテルには既に入り待ちをしているファンが多く居たんだよ。セキュリティーに通されて俺達は直ぐにホテルの部屋に入り休んでいたんだよ。外に出ればすぐに顔を指されるので、俺はモール、映画館、レストラン、スーパーすら行っていなかった。考えられないような日常で、全く人との接点がない生活を送っていたよ。」
若い時は有名になりたいと思っていたのか?という質問に対しTomは、「有名になるなんて全く考えてもいなかった。夢と思っていた事はNOFXぐらいのバンドになれたらぐらいかな。彼等は1500人以上のオーディエンスの前でプレイしていて、若い時にはこんな大勢の人々の前でプレイ出来たら最高だし夢のようだなって思っていたよ。有名になるなんて全くだ。お金を儲ける事も全く考えてなかったよ。ただ、自分一人が生活できて少しでもファンがついてきてくれたらなぐらいにしか思って無かった。有名になる事は余り良い事では無いよ。周りの人が自分の顔を常に見ている。考えてもみてくれよ、レストランに入って食べている客が自分の方を見てひそひそ話合っている。自分は単にサラダを食べに来ただけなのにだよ。誰も真っ直ぐ俺を観ようとしない、チラチラ見てはひそひそ話あっている。顔を上げれば店内にいる誰かが俺を横眼で見ては話し合っている。俺はやりきれなくなって食事を中断して外へ出た事が何度もある。」
変装をして人前に出ていた事があるか?との質問に対しTomは、「Markと俺はよく変装していたよ。Markはセキュリティーの服を着て、カツラを被ってライブ会場のパーキングに入って来るファン達
の車の整理をしていた事もあるんだ。俺は奇抜な帽子と服、カツラを被ってライブ会場の外にいるファン達と話した事もあるよ。誰も俺と気付かなかったけどね。ある時、会場の外でライブを待っている女性ファンと変装した状態で話したんだけど、彼女達は俺を変質者と間違えたようで逃げて行ってしまったんだ。約2万人のオーディエンスの前でのライブだったけど、女性ファンは全く俺にチャンスをくれなかったなという笑い話さ。今の暮らしの方がよっぽどハッピーになったかな。」
Blink時代、後続が次々にBlinkを真似たようなバンドだった事にイラついた事はあるか?の質問に対しては「イラついたのはそういったバンド達がもっと上手く出来たらなという事についてだ。正直な所、俺達だって自分達が影響を受けたバンドから盗んでいった要素はあるから、まあよくある事という認識だったね。イラついたのはこの音楽が進んでいかなかった事かな。誰かの真似をしてそれ以上は無かった。俺達もまた誰かの真似をしてそして自分達の音を模索し、サウンドを変えたり、間違いもあり、学ぶ事が多かったな。だから俺自身もその誰かのコピーという枠に入っていた訳で、どんなバンドでもそういった事はあるのさ。そして俺達は決してポップパンクというジャンルを作った訳でない、他バンドから盗んでいったものなんだ。他のバンドの影響を受けて真似ていた部分はあった、しかし俺達は確かに自分達の音楽を多くの人々に提供できたという事実は信じているよ」と説明。
こちらTom DeLongeのインタビュー記事: http://www.jenkemmag.com/home/2020/12/07/tom-delonge-skating-early-blink-182-fame/