
Ozzy Osbourneが他界した日について、これまでの思い出エピソード、そしてOzzyの映画についてSharonが語る。
12/17/2025

7月に他界したOzzy Osbourneについて、妻でマネージャーであったSharonが英国の芸能人Piers MorganのYoutubeチャンネルPiers Morgan Uncensoredに出演しOzzyの最後の瞬間、そしてOzzyとの思い出を激白。
英国Birminghamにて自身とBlack Sabbathのラスト公演であるBack To the Beginningを完了させ、その二週間後7月22日にOzzy Osbourneは息を引き取りました。76歳でした。Ozzyの家族の発表では、
「私達の愛するOzzy Osbourneが今朝他界した事を言葉では伝えきれないほどの悲しみと共ににご報告しなければなりません。彼は家族と一緒にいて、愛に包まれていました。私達家族のプライバシーを尊重してください。Sharon, Jack, Kelly, Aimee and Louis」
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Ozzyは晩年、パーキンソン病の症状が進行しており、その他様々な病気と闘っていました。 Ozzyは計り知れない才能で道を切り開いただけでなく、メタルのパイオニアであるBlack Sabbathのフロントマンとして、自身のソロキャリア、そしてOzzfest等を通したバンドの世代交代に至るまで、シーンへの輝かしい活動家でもありました。Ozzyはメタル/ハードロックの立役者であり、訃報は世界中の音楽愛好家達に大きな衝撃を与えました。
Ozzyが死去し5か月が経ち、妻Sharon Osbourneが友人であるPiers Morganのインタビューを受けました。冒頭、Piersから調子はどうですか?と問われたSharonは、大丈夫になってきた、と言うも「悲しみは今や私の友となったわ」と涙ながらに語りました。PiersとSharonはタレント発掘番組America's Got Talentの審査員として共演した仲であり、PiersはSharonとOzzyと食事に行ったりと親交がありました。Back To The Beginning前後にPiersはOzzyとメールのやりとりをしており、公演を頑張って欲しいとPiersが励ましのメッセージを送るとOzzyも励ましのメールに感謝しBirminghamにて公演の準備をしていると返信しています。公演後、Piersは無事公演を完了させたOzzyにおめでとうとメッセージを入れ、Ozzyも感謝の返信をし、これがOzzyとの最後のやりとりであった事を説明。Piers自身Ozzyについて「彼は決して自分以外の何物になろうとはしなかった。いつも会うたびにOzzyはいつもOzzyだった」と語りました。SharonはOzzyの晩年について、
「最期の週、Ozzyは夢を見ているって言っていたわ。今まで会ったことのない人達が現れると言っていた。私が “どんな人なの?” と聞いたら、彼は “色んな人達だよ。ただひたすら歩き続けていて、毎晩色んな人を見かけるんだ。またそこに戻って、その人達を見ていると、向こうも俺を見ているんだけど、誰も何も話さないんだ” って。Ozzyは覚悟ができていたのよ。」
SharonはOzzyの最後についても語り。
「Ozzyが亡くなった日、彼は一晩中トイレに何度も行き来していたわ。早朝4時半頃にOzzytは寝ていた私に “起きてくれ” と言ってきた。彼が動き回っているから半分起きていた私は “もう起きてるわよ、あなたに起こされたわ” って返したら、彼は “キスして欲しい” と言い、それから “強く抱きしめて欲しい” って言ってきた。あの時、もっと愛していると伝えていれば、そしてもっと強く抱きしめていれば、と失敗したと思っているし、そして後悔しているわ。彼はステージ上で死にたいとは思っていませんでしたが死期が近づいている事は分かっていました。彼は私に ”もっと、もっと、強く抱きしめてくれ” と要求し、Ozzyを抱きしめていた私に ”えーっと君はこれから結婚するつもりはあるの?” と聞いてきたから馬鹿馬鹿しい質問に私は ”ジョークのつもり?もうさっさと行って” と彼を押しのけたのです。それから彼は階下に一人で降りていって、運動して、そして心臓発作を起こして逝ってしまった。朝方、寝室から起きて来た私は階下に行ったOzzyを呼び掛けたけど応答が無かったの。私は何かが違うと思って直ぐに階下へ駆けおりていくと彼が意識の無い状態でいた。私は直ぐに救急車を呼びました。駆け付けた医療従事者の皆さんがOzzyを蘇生させようと頑張ってくれていた。しかし、私は ”もうそのままにしておいて。もう無理だと思う。彼は逝ってしまった” と思っていました。Ozzyが帰らぬ人となった事は直ぐに分かっていました。医療従事者の方々はヘリコプターでOzzyを病院へ運び、そこでまた手を尽くして下さったけれど、私は ”彼はもう逝ってしまったの、だからそのままにしておいて” と思っていました。」
Sharonによると、7月に行った最終公演の準備中、医師達からは同ライブがOzzyの命を奪う可能性があると警告されていたことも明かし、
「Ozzyは自分の死期が近い事を分かっていました。今年は本当に体調不良な時が多かったのです。私達がイギリスに来て、こちらの新しい医師達、彼の為の新しい医療チームと会った時、主治医が彼に対して “このライブをやれば、命が終わってしまうかもしれない。とても持ちこたえられない” と忠告したのよ。でもOzzyは “俺はこの公演をやるんだ。やりたいんだ” って言ったんです。彼は自分の体が限界であることを分かっていました。ひどい痛みに耐えながらこれまで頑張って来たんです。彼は今年3回も肺炎にかかり、敗血症にもなり、その事も既に衰えていた彼の体を徹底的に壊していたのです。彼は抗生物質の注射を打っていました。1回の注射に20分もかかり、それを1日2回も受けていたのです。それは体内の良い菌も悪い菌も全てを殺してしまい、弱まっていく身体に彼は耐えられなかったのでしょう。Ozzyが最終公演をやり遂げれたのは、皆に感謝を伝えたいと強く願っていたからです。そして、彼自身終わりが近づいている事を気付いていたのだと思います。」
Back To The Beginningを完了した後のOzzyについてSharonは、
「Back To The Beginningの後、Ozzyは本当に幸せそうでしたよ。新聞を何度も見かえしながら、私に “こんなに多くの人々が俺のことを好きだなんて知らなかったよ” と言ってました。そういう人だったんです。Ozzyは自分が有名であるという自覚はありましたが、人々がどれほど彼を愛していたかまでは分かっていませんでした。公演後の二週間はそれまでの彼とは全く違っていて本当に幸せそうでした。彼の毎日が晴れの日の様な感じで、この7年間で見た中で一番幸せそうでした。」
公演後に本当に言いたかった事をキチンと伝える機会はあったのか聞かれたSharonは、
「伝えたし、そうでないかもしれない。機会はあったけど、Ozzyが凄くテンションが高くハッピーだったから気分を害したくなかったのよ。彼が生きている事を祝っている様で喜びに満ちていた時間でした。彼の笑っている姿を見られて本当に良かったからそれだけで十分だったの。」
Piersから子供達や家族の存在について聞かれたSharonは、
「私は恐らくOzzyと一緒に逝っていたかもしれない。やりたいことは全部やったから。でも、子供達や家族が素晴らしく私を支えてくれたの。子供達や家族によって今の私が居るのよ。何年も前、私が精神的に疲れてしまった時に治療の為に施設に入った時、同じ施設に2人の女の子が居たの。女の子達は同じ家族ではなかったけれど、2人とも母親が自殺していた。彼女達の人生に与えた影響を見て私は絶対に自分の子供達にそんな思いはさせないって誓ったのよ。そして、今私がこの場所に座っているのも、Ozzyが貴方(Piers)との対談をやりたがっていたからよ。Ozzyは ”俺は本当に好きな人以外とはインタビューを受けない” と言っていたのよ。」
PiersもOzzyから度々メールを受けていて、Ozzyから直々にPiersのショウはベストであり何時も楽しませて貰っていると激励のメールを受けた事を明かし、いつも何の脈略もなく突然嬉しいメッセージを送ってきてくれるのがOzzyであったと語る。Piersは、Ozzyの思考やコミュニケーションの突飛さ、行動の仕方、突然飛び出すジョーク、生き方そのものが正にOzzyだった事、その根底にはいつもSharonへの信じられないほどの愛情が流れていると感じていた事、そしてそれがいつも最善の形では表れなかったかもしれないけど、否定できないものであったと語り、Sharonに二人の馴れ初めについて聞くとSharonは、
「私の父がアーティスト達のマネージメントをやっていたのよ。70年代にBlack Sabbathがブレイクした時、彼等はまだBirminghamのローカルマネージメントと契約していて父はBlack Sabbathとの契約を狙っていたの。彼等がライブハウスMarqueeで公演をやった時、私は父と一緒に公演を観に行ったわ。大勢の人々が詰めかけた熱気の中、Black Sabbathが登場し演奏をした。ライブを見た私は ”なによこれ、彼等は一体何なの” とパニックになったわよ。それまでの私は綺麗な出で立ちをしたアメリカ人アーティストを聴いてきたから、Black Sabbathのメンバーはそれとは全くかけ離れた出で立ちだった。でもライブの半分まで聴いて彼等がどれ程素晴らしいアーティストなのか感じたわ。そして翌日、バンドメンバー達が私の父のオフィスにやってきたのよ。当時私は受付をやっていて彼等に紅茶を欲しいかとか聞いたりしたわ。メンバー達は父のオフィスルームに入り暫く話をして帰って行ったわ。彼等が帰るなり父は ”彼等の信頼を勝ち取れたな、契約したようなものだ” と上機嫌だった。当時、父のボディーガード兼運転手Patric Meehanがメンバー達をホテルまで迎えに行き、彼等をオフィスへ連れて行き、その後ホテルへ送り届けたの。オフィスからの帰り道、彼等はPatrickに ”彼(粗暴だったSharonの父)が怖くてたまらない” と打ち明けていたの。するとPatrickは ”君達に会わせるべき人物を知っているよ” と言った。それが父の日常業務を担当する事務員だったの。Patrickとその事務員はメンバー達と接触し翌日に彼等がバンドのマネージャーになったのよ。
1975か76年にBlack Sabbathはレコーディング作業等で殆どLAに居たわ。父のLAのオフィスに居た私はハリウッドのライブハウスやバーで度々メンバー達と出会う機会があったのよ。Tony Iommiが ”今度ライブに遊びにおいでよ” と誘ってくれて彼等のライブにも行くようになり、ライブ後はメンバー達とよく話すようになった。Ozzyはいつもベストなスマイルで私を迎えてくれ私を笑わせてくれた。彼のスマイルには人を惹きつける魅力があるのよ。それから79年ぐらいだったかしら、それまで父の仕事を手伝っていたPatrickと事務員が父の会社のお金を持ち逃げしたの。この件によって父は破産してしまい、見かねたBlack Sabbathメンバー達から ”君のお父さんの力になりたいから今度会わせてよ” と言ってくれ、そのころから私はバンドの世話をする様になり徐々にOzzyとの距離も近くなっていった。Ozzyとバンドメンバー達は何時でも陽気で、一緒に居て楽しかったの。Ozzyは文句ばかり言うミュージシャンでなく、いつも楽しく活動していたわ。1980年頃にOzzyがスタジオでソロ活動の為のリハーサルを行っていた。彼にとって初めてのソロツアー、彼だけの小規模なステージ、そして彼をサポートするバンドメンバーにワクワクしていた。同じころ、スタッフと私とOzzyでOzzyの部屋に集まりミーティングをした時があり、ミーティングが終わるとOzzyがスタッフに対して ”もう帰れよ。俺の部屋から出て行け” と部屋から押し出し私達は二人きりになった。Ozzyと関係を持った私は ”彼はまだ婚姻関係の身であり二人の子供も居る、私はなんてことをしてしまったの” と悩んだわ。この業界では自身のクライアントと寝るなんてことはご法度だったの。私は、Ozzyはきっと私に口をきいてくれなくなる、私はビジネスとパーソナルな関係全てを壊してしまったと後悔していたわ。でも次の日、Ozzyはいつも通りハッピーなままで私に接してくれたの。それからよ私達が一緒になったのは。
妻と子供が居たOzzyにとって私と一緒になる事は大変なことでした。当時、私自身も子供がなく、周りの友人も結婚したり子供がいた人がいなかったから、Ozzyがどれ程大変だったか私には理解が出来なかった。あとで私に子供が出来て初めてOzzyの大変さを痛感したわ。当時は70から80年代であった事もあり、Ozzyのパーティー好きな所や彼のクレイジーさに私は全く動揺しなかったわ。周りの人からは ”Ozzyと一緒にいるのは大変でしょ” と聞かれたけれど私は ”なんてこと無いわ。私の父もかなり暴力的だったしその家庭で育ったしね” と言っていたわ。そして、私自身色んなアーティスト達と仕事をしていて、業界を見て来たから大抵の事には動揺しなくなっていたのよ。」
長年連れ添ったOzzyが逝って本当に多くの人々がOzzyの事を愛してくれていた事を改めて知った事についてSharonは、
「Birminghamのストリートを多くの人々が集まってくれた事は本当に素晴らしかったわ。皆がOzzyをどれだけ愛しているか分かっていました。でも故郷に帰って本当に愛されている場所で皆に見送って貰った事はまるで夢の中にいるみたいでした。本当に心安らぐ感じで、子供達が父親がどれ程愛されているかを見て感じられるのが本当に良かったです。悲しみは今私の友達になり奇妙な感覚よ。あれほど愛した人を失い、その死を悼む日々は私が生き抜くべき現実なのよ。やがて慣れると思うわ。慣れてみせる、そうしなきゃいけないのよ。だって、人生は続くのだから。今は毎日、自分は何をやったらいいのか考えています。でも、やる事といったらOzzyがつけていた日記を読んでいる事だけ。1984年頃にOzzyがリハビリを受けた際に日記を書いて行くことを勧められたのよ。それから彼はずっと日記をつけていたわ。だから40年程の日記になるわね。悲しかったのは彼がよく自分を貶すように書いていたから。でも、彼はとても正直に起こった事や感じた事を書いているわ。そしてOzzyはいつでも彼のファンに感謝していた。そしてOzzyが長年にわたって描いた2000点以上の絵も大切に持っていてそれらも見ているわ。」
PiersからOzzyの日記や絵を出版する気はあるのと聞かれたSharonは「少しならありうるかもしれない」と答えています。
Ozzyは自宅の敷地内にあるクラブアップルの木の下に埋葬されている事をSharonが説明。PiersからOzzyのワインは作る気はある?と聞かれたSharonは「まず無いわね」と否定。Sharonは毎日Ozzyのお墓を訪れ語りかけていると説明。
「家族の皆、Louis(息子)もElijah(初めての孫)もOzzyの所へ行って話しているのよ。彼の存在はいつだってあるわ。家の中ではいつも何本もろうそくを灯しているの。決してろうそくが消えることはないわ。彼の写真の前でも、家の中でも。」
Piersから「Ozzyは君に今後何をして貰いたいと思っているのかな?」と聞かれるとSharonは、
「分からないわ。でも恐らく彼の事を恋しく思ってほしいと願っているのは確かね。先日の12月3日に私はBirminghamに行って市長の方からOzzyへのアワードを受け取りに行ったの。その後、Ozzyの展示品を見て、Black Sabbathベンチにいって献花したわ。その後、Ozzyが願っていた彼の姉弟や甥っ子達家族と一緒にインド料理店で食事をしたの。皆で色んな思い出を話したわ。Ozzyは本当に働き者でそれを誇りに思っていたの、労働者の考え方を持ち合わせていた。この7年彼は多くの仕事をセーブしなければならなかったけれど二枚のアルバムを作ったのよ。私はなんでここまでやる必要があるの?とOzzyに聞くと ”だってそれが俺の仕事だからさ” と言っていたわ。」
PiersからOzzyの一番恋しいところはなに?と聞かれたSharonは
「彼の手。彼の手を握る事。喪失感ね。わかるかしら?人生で最愛の人を無くしたの。夜、寝室に入っても眠れないのよ。もしかしたら彼からメッセージがくるかもとずっとスマホを見ているの。本当に辛いわ。深く愛した人への思いはずっと変わらないってわかっている。私は一日中家の中で彼の写真も見ているの。彼が世界中の国々から持ち帰った品々が家には保管されているの、彼は家のいたる所にいるのよ。」
PiersからこれからOzzyがいない初めてのクリスマスになるが何か予定はたてているのか聞かれたSharonは、娘のKellyとパートナーSidと孫Sidneyと一緒にイギリスに居て、それから27日にLAへ行きJackの家族と一緒に過ごす予定と答える。PiersはOsbourne家の人々は全員強い個性を持っていて非常にユニークな家族だとOzzyとの思い出を語る。
「私と貴方がAmerica's Got Talentの審査員をしていた時、私達は米DallasかMiamiに居てOzzyを入れて三人で食事に行きました。そこにKellyとその時のボーイフレンドも加わり食事をしました。食事を始め30分も経たない時に突然Kellyが ”本当に退屈な食事。私達は店を出るわ” と言って二人で帰ってしまいました。貴方は ”退屈?私とOzzyと一緒の食事で退屈?” と唖然としていましたよね。Kellyと男性は店の外に出ると私達が座っていた席の直ぐ近くの窓をノックして自分達のボトムスを下ろして小便のポーズをとっていました。覚えてます?貴方は汚らわしいとご立腹でした。私は ”でも貴方はOzzyとSharon Osbourneでしょ、これは自然で当然の結果なんじゃないか” といったらOzzyと貴方は笑い転げていましたよね。その後の食事もずっと笑いが止まりませんでした。Ozzyと一緒に過ごした時間は90%が笑いでした。彼の音楽も大好きだった。彼の事を思い出すと、本当に笑うのが大好きな男だったよね。彼の笑い声は史上最高だったな。」
今後何かしたい事はあるのか聞かれたSharonは、
「今Ozzyの映画について動いている所なの。契約は取れたので制作する人を探しているわ。それがメインかしら。」
PiersはOzzy役の候補はあるのか聞かれたSharonは「いる」と答えるも詳細は伏せていました。Piersがその人物はリアルなOzzyを演じれると貴方は思っていますか?と聞くとSharonは「出来る」と答え、Piersが「YUNGBLUD?」と追撃するとSharonは押し黙ってしまいました。Piersが「否定しませんね」というとSharonも「何も言いませんよ」と発言。
SharonによるとOzzyが他界して5日後に一番年長の飼い犬が亡くなり、二週間後にはまた別の飼い犬も亡くなった事にあり本当に辛い時期であった事を説明。Sharon曰く「時間を無駄にしない事は本当に大切」と発言。
最後に、PiersがOzzyが自宅ジムで筋トレして死ぬという皮肉は彼自身を笑わせただろうねと言うとSharonも「私もOzzyに辞めときなさいと言っていたのよ。筋トレの意味あるのか?」とね。Piersも「Ozzyもこう言っているだろうね。Sharon、筋トレが俺を殺したんだ。酒でなく、ドラッグでもない、糞みたいなジムが原因だ」とOzzyを恋しく思っている事を発言。Piersは続けてOzzyとの思い出エピソードを語り、
「America's Got Talentの審査員になって初めて食事した時を覚えているかい?あの食事もOzzyが居たからだったよね。番組の収録時、審査員の私は貴方に対して嫌味なコメントを発すると貴方は激怒し、立ち上がって私の首を絞めようとしたがJerry Springer(ゲストの喧嘩や番組内での乱闘が頻繁に起こる過激な米トークショー番組の司会)が私達を引き離したよね。放送局NBCの偉いさんも皆 ”この番組は大丈夫か” と頭を抱えていた。引き離された貴方は直ぐに番組を退場した。その夜、夜中の2時ぐらいに貴方からメールが来て ”Ozzyが謝りのメッセージを送ってあげなさい、というから”、という内容だったよね。翌日、撮影に入った時、当然ながらNBCの幹部達は ”これはマズイ。審査員の一人がもう一人の審査員を殺そうとしたようなものだ” っていう感じだったよね。まるで ”このイギリス人達狂っているよ” っていう感じだった。でも私達は何事も無かったように撮影スタジオに現れ、その後番組は大成功したんだ。笑える事にOzzyが私達の仲裁役だったんだよ。あの問題を解決したのはOzzyだった。彼は魔法の様な男だった。本当に、本当に彼が恋しいよ。」
こちらPiersとSharonの対談: https://youtu.be/aaLMsEJKZEQ?si=nSZlUyXlGh1tO9OW



