
Slipknot等で活躍したJoey Jordisonの一周忌に家族がJoeyのメモリアル映像を公開。
7/27/2022

2021年7月26日、Slipknotの結成メンバーにして、2013年に脱退したドラムJoey Jordisonが他界したニュースは多くの人々にショックと悲しみを与えました。Joeyは46歳でした。
あれから一年、Joeyの家族は一周忌である昨日Joeyを尊ぶ約15分のメモリアルビデオを投稿。
こちらの映像ではJoeyのプライベートやバンド活動時での写真も掲載されています。
そして家族はJoeyの一周忌を迎え以下に発表:
「辛いです。今日はJoeyが旅立ってから一年が経ちました。Joeyを失った私達の心の傷は未だに癒えていない状態で、今でも胸が張り裂ける思いであり、私達は一生この傷と共に行くのだと思います。
この日、私達はミュージシャン、アーティスト、ジョークの達人、息子、ブラザー、叔父、友人であったJoeyのことを思っています。
Joeyのことをインスピレーションと言うのは簡単です。彼の人生は短いものでしたが彼の影響力は凄まじいものであり、多くの人々の人生を変え、ドラマーやミュージシャン達にも影響を与えました。キャリアにおいてJoeyはエンターテイメント業種以外にも多くの人々と出会い一緒に仕事をしていました。天才的なタレント性、魅力、ユーモアに惹かれて彼の周りにはいつも多くの人々が集まっていました。もし貴方がJoeyと出会った事があるならば、Joeyとの出会いが貴方をどういう気持ちにさせたか思い出すとおもっています。貴方はかれの傍に居たかった。優しい、敏感な性格のJoeyは貴方を大切な人として接していた事でしょう。
私達は彼のボイス、笑い声、間抜けなユーモアを恋しく思っています。もし貴方がJoeyを知っていたら、彼の冗談、悪ふざけ、突拍子もない寸劇(即録りたくなる)、大好きな映画からの名言、そして勿論彼の代名詞的なアホらしいフレーズ集を思い出すでしょう。5分でも彼と一緒に居ればこの無意味なフレーズを聞くことになったと思います。
“Croooooows.” “Let’s deuce!” “I need THIS!” “Dragon!”
そして勿論彼が残した音楽があります。Joeyは音楽と共に生き、音楽は常に彼と共にいました。彼は四六時中音符とコードを頭の中でプレイしていました。そして彼の中から出て来た音にビートとリズムを付けたり、歌ったりドラミングしていました。彼には速攻で素晴らしいものを作曲できる能力に長けていました。これらの音楽はキャッチーであり貴方の頭にこびりつて離れないものだったでしょう。
これらのJoeyとの思い出を私達は恋しく思っています。
貴方達の多くはJoeyをステージやマガジンで見ていたと思います。彼が愛した作曲、そしてその曲を大切なファンに披露している彼は素晴らしく多くの人々を魅了してきました。もし ”あなた” がこれを読んでいて、Joeyのファンならば覚えていて下さい、Joeyはあなたを愛していましたよ。彼はあなたをハッピーにすることをとても大切にしていました。彼は本当に頑張っていたんです。彼にとってあなたの存在が全てでした。彼はあなた達の事をいつも話していました。あなた達が彼をどう思っていたのかとても気にしていましたし、あなた達に感謝の気持ちを伝えようといつも必死でした。彼はあなた達を人生のクレジットとしていました。
Joeyの家族はこのメモリアル映像を一周忌に投稿することにしました。この映像には立派なミュージシャン、そして素晴らしい人であったJoeyを見る事ができます。この映像をJoeyが一番大切に思っていたファンの皆さんにシェアします。
映像内でかかっている曲はJoeyが大好きだった曲です。これらの曲についてJoeyは度々インタビューにて語っていました。そしてJoeyが最も感銘を受けたのがLed Zeppelinの曲In My Time Of DyingでありJoeyは自身の葬式でかける音楽はこの曲と生前語っていました。(曲についてJoeyは、美しく落ち着いた曲であり安らかに眠れそうな曲と説明。)
Joeyファンの皆さん、貴方達が生きるJoeyのレガシィです。彼の残したストーリーを語りあい、音楽をシェアし、彼との思い出を残していくのも貴方次第です。Joeyの家族もそうするつもりであり、今後も私達の歩みを更新していく事にします。
この映像を楽しんでみてくれる事を願っています。この映像はファンの皆さんのものです。
RIP Joey - Forever Our #1」
昨年Joeyが他界した後Slipknotは以下に発表していました。
「俺達の心は大きな悲しみに居るJoeyの家族とJoeyが愛した友人達へ向けられている。Joey Jordisonのアート、才能、スピリットは決して止まる事は無い。Slipknot、私達の日常、Joeyが愛した音楽にもたらした彼のインパクトは計り知れない。Joeyが居なければ俺達はここに居なかった。俺達とSlipknotファミリーは彼の死を悲しんでいる。We love you, Joey」
JoeyはSlipknot結成時のドラマーでありバンドのロゴやトライバル「S」ロゴのデザインも担当しました。バンドがレコード会社と契約する前に発表したアルバムMate.Feed.Kill.Repeat(1996)、レーベルRoadrunnerレコードと契約しデビュー作セルフタイトル(1999)、Iowa(2001)、Vol.3:(The Subliminal Verses)(2004)、All Hope Is Gone(2008)のレコーディングに参加。Joeyが最後にSlipknotの作品に携わったのはグレイテスト・ヒッツAntennas To Hell(2012)であり、2010年にベーシストのPaul Grayが亡くなってから初のアルバム.5: The Gray Chapterのレコーディングを控えている2013年に脱退。脱退から数年後、Joeyは脱退理由について神経疾患だったことを明かしていました。当時のインタビューにてJoeyは「横断性脊髄炎というひどい病気になってしまい、足が動かなくなってしまったんだ」と発言していました。2018年にはインタビューにて厳しいリハビリに励み大分症状が良くなった事を明かしていました。またSlipknot脱退後JoeyはScar The Martyr、Vimic、Sinsaenumを結成し活動していました。Joeyはその才能を生かしSlipknot在籍時にはMurderdollsを並行して活動しRoadrunner United 25周年記念アルバムや3 Inches Of Bloodの作品等をプロデュースしています。
改めてRIP





